tokyo nightless,1





羽田についたのはもう明日まで後1時間という時刻だった。
関西空港経由の岐路を選んだ為、接続に時間がかかり、定刻よりも遥かに遅れて到着した。
荷物は鞄ひとつ。手荷物を待つ必要もなく、待つ者もない。
遅延便に合わせ、用意された臨時のモノレールに飛び乗り、浜松町に向かった。
駅北口からタクシーにのリ、汐留に向かうつもりだ。
 
「ゆりかもめの、汐留駅で降りるとすぐ近くだからね」

少し遠い携帯の声がそういっていたが、今更、公共交通機関を乗り継いで行く気はない。

こうしているうちに今日から明日へと跨ぎかかっている東京の真夜中では…。

半年ぶりの日本だった。
海外に拠点を移してから最初の春。
この夜の眩しさも、海沿いに右に蛇行するレールも、傍らを彩る不夜の街並みもさして以前と変わらない気がする。
暗闇に浮かぶ倉庫の影、ナイト照明に照らされた懐かしいテニスコート。
覆いかぶさるように窓の景色を裂く高層ビルの影。それらすべてに君がいるような気がする。
景色が過ぎていくのを眺めながら、携帯の電源をいれる。通信設定を国内モードに替えて、サーバーメールを受信する。
いくつか慣れ親しんだ名前が続けて受信boxに並び、最後にひとつ。

<汐留にはホテルがいくつかあるから気をつけてね>

それだけ、ぽつんと、はいっていた。

深夜の喧騒に騒ぐ浜松町に降ると、慣れた構内を足早に過ぎ、タクシーに乗り込んだ。
ワンコインに近い距離。無言のまま、閉じられた空間に座れば、1センチ程開いた窓から吹く風は涼しささえ感じる。
夏の盛りを過ぎたはずの夜にしては暖かい。乾いたヨーロッパの空気とは違う、肌に触れる湿った風。
それが心地いいくらいだった

表通りの光を抜けて、奥まった真っ暗なオフィスビルの陰を縫って走る。
既に12時にさしかかった週末のビル街にはだれの人影もない。
ここだと思います、と言われ<750円で放り出された場所は、初めてきたオレにはただのオフィスビルにしかみえなかった。
ホテルらしい門構えもなく、大抵の時間ならば正面玄関にいるだろうドアマンも当然いなかった。
ガラス張りの高層ビルが二つ、H型につながっている。
見上げれば星も何もない、暗闇に、ぽつぽつと窓が光るだけで…まるでホテルというよりはオフィスビルだ。
一階ロビーに繋がるはずのドアはある。だが、ガラス越しに覗く暗闇のフロアには、CLOSEDのフラワーショップのシャッターだけだった。
そして、反対側のビルには既に止まってしまったエスカレーター。やはりこちらにも人影はなかった。

一見して入り口のわからないホテル。
誰かに聞くにしても、人がまったくいない。
うす暗闇の中庭にひとり。
近くを走る車の音だけがやけに響いている。
それだけの静かな週末の夜だった。
こんなにも静かな時間があるんだな。そんな、ふとした安らぎすら感じる。
どれほど暗くても不安はない。
これはいつか君と一緒にみた夜の空と同じだ。
そっと目を閉じれば、思い出すことも容易い距離に君がいる。
そう。こんなふうに…。

「自分で帰ってくるって言ったくせにもう間に合わないと思ったよ」

一番に会うために、そっとグレイの夜影に照らされた君がいた。

きれいな夜空の下に。



「おかえりまさいませ」

濃いオーク調のデスクを設えた、こじんまりとしたフロントの前を慣れた足取りで君が過ぎた。
チェックインは既に済ませてあるらしい。
フロント奥にある、エレベータホールには添えられた水盤にシダの緑がほんのり溢れている。
廊下の要所に据えられた絵は落ち着いた墨江が多く、オリエンタルな雰囲気を演出していた。
カードキーを差し込むと、エレベーターの扉が開く。
24回まで一気に上った。

「随分遅いから、もうねちゃいそうだったよ」

その姿を良く見ると、グレイのコートの下には、君が好んで着るリネンの茶色いシャツを羽織っているだけだ。
深緑のカードをドアにかざすと、静かに扉が開かれた。

ベージュのフロアマットにひとつしかないバッグを落とす。
落ち着いたブラウンの家具、窓際のカウチ。
そしてヘッドライトに照らされたベッドサイドには深紅の壁と、カバーが掛けられていた。
ホテルにしては随分とはっきりと、すっきりとした色の主張だ。


「シングル・・なのか?」

「なに ? ご不満 ?」

目にはいった瞬間、つい口にしてしまった。
他意はない。本当だ。
カウチにどす、と座り、窓を背に笑う君の姿。
その後ろに広がる光の落ちた静かなビルの群れには薄いベールが掛かっている。
まるでドレスのような薄絹のカーテンをそっとあけてみる。
目前に迫るビルには未だ働くオフィスの光がいくつかともっていた。
そのデスクに広がる書類の山さえもはっきりと見えるほど近い。
階下を望めば、そのビルの谷間を光の筋が蛇行していく。あれはどの駅に向かうのか。

「明かりの消えていくのをみるっていうのもいいでしょ ? 」

捻った姿勢で、窓に顔を寄せる君の旋毛を見つめながら、そっと窓からの冷気に触れる。
指先に感じる冷えたガラスの感触。

「さすがにテレビ局らしいよね〜あのフロアのあたりは電気消えないみたいだよ」

そして、ふと気がついた。

間近に迫るビルとビルの狭間。
切り取られた夜の街に、オレンジ色に輝く高い影がひとつ。

東京タワーだ。
もうすぐ明日になる瞬間ですら暗闇に浮かぶ。

肩に触れると、見上げる瞳は記憶のまま、きれいな三日月の形をして微笑んでいた。

ああ、帰ってきた。

今、やっとそう思える。

こんなにも静かな時間がある。
そんな安らぎを感じる。
どれほど暗くても不安はない。こうして君と一緒にみる夜の空はいつも同じだ。
こうして抱きしめることも容易い距離に君がいる。
そう。こんなふうに…。

「ただいま。不二」

両腕に余る君を、あのビルの狭間の輝く東京のようにそっと大切に囲う。

今。
明日になる。
0時。
この瞬間。

「誕生日おめでとう、手塚」




ひっそりと…

東京タワーがきえた。




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